そうだ、熟年夫婦の教えを嗜もう。
こんにちは!嗜み系ぽんこつブロガーのともをです。
以前、お酒の席で知り合った女の子とお話ししていた時のこと。
恋愛の話になった時、その子から
「結婚する相手は本命じゃなく結局二番手なんですよね…」
という意見が出た。
なんでもその子は長年お付き合いしている彼氏さんがいるらしく、近々結婚も視野に入れているとのこと。
詳しく訊いてみると、
- 理想を追い求めるのは現実的じゃない。
- 恋愛において本命と付き合うことはOK。でも結婚となると一つグレードを下げた二番手くらいがあとあと丁度いい。
などなど語ってくれた。
確かにそうかもしれない。当然、恋をするなら理想の相手がいいけど、二番手くらいがちょうどいい。
いざ結婚って話になっても、本当に理想の人が結婚相手に相応しいのかと考えることもある。
とか考えると思ったか?
アホなの?www
そんな妥協した結婚は死んでも嫌だし、そんな控えめな姿勢で人生と向き合うこと自体がもう論外。
そもそも結婚してくれる相手を"二番手"呼ばわりする時点で、相手に対する敬意が完全に無いし、「何様だよ!?」て思う(激おこプンプン丸)。
しかも相手もあなたのことを二番手と思ってるかもしれない。なにその負のサイクル。
そして結婚後も、そのまま"妥協に抵抗のない生活"という二次災害へとつながる可能性は大いにある。
いつもイライラして豊かさの欠片もない夫婦生活になるのはもう方程式レベルで明白だし、その上、次は妥協に満ちた子育てライフが待っている。
子育てをしていく上で、よく
「これはお前の仕事だろ!」とか
「少しくらい手伝ってくれてもいいじゃない!」とか
聞くだけで残念な気持ちになるやりとりが起こるけど、子育てをしていく上で発生する問題を解決する責任は夫、妻のいずれかでなく双方に伴うものだと思う。
子どもの世話をするのが嫁の仕事とか、働いてお金を稼ぐのが夫の役目とか、そんなのナンセンス。くだらない。
最愛の人生のパートナーとの間でこんなやりとりが存在することが意味不明。お互いを何だと思ってるんだろう…
僕は夫婦共にあらゆる困難を乗り越えるのに必要な土台になるのは、お互いへの敬意だと思っている。
パートナーに対する尊敬の意があれば、夫婦間で生ずるトラブルにも対処しようっていう気持ちを持てるはず。
上手くいっている熟年夫婦がよく「愛情は枯れても常に尊敬し合っている」と言うことがあるが、それはまさに本質に触れていると思うし、もう答えを教えてくれている。
だから僕は人生のパートナーには、心から尊敬できる"一番手"を選びたい。